1☆ MARI side




私は今日もまた本を読んだ。









私が選んで買った本ではない。 黒くて画面の大きいパソコンがある部屋でたまたま見つけたものだ。



マリは読み始めた本を必ず最後まで読むことにしている。 たとえその本が、表紙が小洒落ているだけの陳腐なラブストーリーであったとしても。


そういえば、この本の著者は今放送中のテレビドラマの原作を書いた人ではないか。確か不治の病に苦しむ女の子が、同級生と恋に落ちて死ぬまでを描いたラブストーリーだったはずだ。
そうかあれは原作から駄目だったのか。





「この本は先生が買ったものですか?」

「いいや、それは友人に借りたものだ。 私はしばらく読書の時間を取れそうもないし、読みたければ読んでかまわないよ。」


もう全部読んだ、と言おうとしたが、先生の声が作業に集中したいというメッセージを含んでいるような気がして、はいとだけ言っておいた。
それに、先生は読んだ本をどのように感じたか?面白かったか?などということは聞かない人だ。




先生はいつも疲れているように見える。 実際私の目の届くところだけでも何かしら忙しくしているから、外にいるときもこのような調子なのだと思う。

年々白髪の割合を増していくぼさぼさの髪に、血管の透けて見える青白い手。 多くの人が想像する「研究者」のイメージにぴったりと合致することはまず間違いないだろう。



キッチンからやかんのけたたましい音が響く。 マリは火を切り、先生が自分で用意していたらしいドリップ式コーヒーに湯を注ぐ。


無言で先生の横にマグカップを置く。先生はこちらを見ることなく、ありがとうねとだけ言った。














私は先生のことが好きだ。疲れてイライラしているときの彼には全く近づきたくもないし、もう少し自分の身なりにも気をつかって欲しいと思うが、
自分を作り出して今まで育ててくれた人だ。嫌いになどなれない。


マリは階段を上り、自分の部屋に明かりがついていることに気づく。 またミサがいるのか。




「このCD、借りるね、あとS.A.Yのアルバムと、―この新しいのも」

「いいけど、S.A.Yの最新アルバムはあまりおすすめできる内容じゃなかったよ」

苦笑して見せたが、ミサはあまり気にしていないようだった。


「そうなの?―まあいいや、この五曲目、炭酸のCMで流れているやつでしょ?全部聞いてみたい」



多くのアーティストにありがちなことだが、CMタイアップソングというのは、古くからのファンにとってはあまり好ましくないものとなってしまう。


―その五曲目、一番S.A.Yらしくない。 歌詞があまりにも直接的すぎて、S.A.Yの良さが半減してしまっていて―
そんなことは思っても言わないでおく。たぶん伝わらない。

マリは携帯を充電器に差し込んだ。





正直なところ、ミサが私の好む音楽を気に入るとは到底思えなかった。
ミサとは同じ建物に住み、もうかれこれ六年ほど一緒にいるから、彼女の嗜好はだいたい把握している。

付き合いが続くほど、ミサとは何もかもが逆だ、と思わされることばかりになっていく。それでも何故か六年も一緒にいる。





人というのはよくわからないものだ。

ミサはおやすみと言って、S.A.YのCDとともに部屋を出て行く。





彼女はきっと部屋に戻って、S.A.Yの最新作をプレーヤーに入れ、五曲目を流す。

続いて流れ出す六曲目を聞き流して、もう寝よう、と思うだろう。彼女はそれでいい。











彼女は成功品だ。 すくなくとも私よりは、うんと先生の思い描いたとおりの人間の女の子であるはずだ。

マリも目覚まし時計のアラームをセットして、電気を消し、布団に入る。







私はオレンジ色の明かりなど着けないし、部屋にはランプもない。 カーテンも閉めて真っ暗にするのがいい。















そうすれば――ほら、今日も来た、明日目が覚めなくてもいいな、という安らかな気持ちが。














































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